紅烏の独り言

えいえんのにわか丸出しボーイ

無駄な語彙力で会話が苦手になった話

今回はなんというか個人の感想というか、自慢げというかウザめというか。

 

 

「語彙」というのはまあ言語というか言葉をひっくるめたものを指す総称ですな。

語彙力はこれを操る力、即ち様々な単語を知っている力ですね。国語が強い人はだいたい語彙力があるのではないだろうか。

 

 

 

 

あっしは子どもの頃から本を読んだりテレビを観たりするのが大好きで、新たな知識をスポンジのように吸収しておりました。

これが今のあっしの「語彙」と「雑学」の基礎基盤となっています。

 

小学生低学年のころ、近所の友達と一緒に帰ってる時、道端に「ネコジャラシ」が生えておりました。

ネコジャラシは呼称で「エノコログサ」というのが正式名称なのをご存知でしょうか。

この時あっしは小学生低学年にして「ネコジャラシエノコログサ」というのを知っており、この知識を友達に何の気なしに話してみたところ、

 

「は?ネコジャラシだろ」

 

と。

そりゃそうでしょう、幼い頃からネコジャラシとして教えられてきたんだからこれはネコジャラシエノコログサなんて初めて聞くハナシ。

 

しかし当時のあっしは躍起になり、エノコログサを主張。どういう結末で話が終わったかは覚えてませんが、普通に多数決で負けた気がします。

 

今でも覚えているこの出来事は、数年後のあっしに「自分は相手の知識の、語彙のレベルに合わせなければならない」と悟らせたものです。

 

すごくいやらしい書き方ですが、これは今でも実際、リアルなコミュニケーションで考えていることでございます。

 

また例を挙げると、話し相手が取り返しのつかないミスをしてしまって、こちらが「覆水盆に返らずやね…」と言ったりすると、あっしより語彙力の低い人は「今なんつった?」ってなるんです。

ここでミスをした側は「そりゃ取り返しがつかんな」とか「やっちまったな」ぐらいの言葉が返ってくると想定しているんです。

で、その考えていたワードとは掛け離れたよく分からん言葉が出てきて、頭の中に「?」が浮かぶことになります。

 

相手の話を聞くということは、「相手の言ってることを理解する」こと。日本語で話しかけてもらえれば、その日本語を脳内で解釈することを「聞く」というのですが。

話している相手が、それが日本語であっても「自分の知らない未知の単語」であれば、脳内で解釈することができず、結局「はぁ?」って聞き手はなるんですよ。

 

つまり、語彙力がある人が語彙力のない人に話しかけると、聞き手の語彙力のない人は、自分の持ってる「語彙」の範囲の外からワードが耳にぶち込まれるので、聞き取った所で脳内で解釈できず、意味がわからないことを言っているように感じるのです。これではコミュニケーションが成り立たない。

 

それこそ自慢ではないですが、あっしは昔から国語が得意で、本も漫画もよく読む子供。本やテレビとかで分からない単語があったら親とかに聞いたり辞書をひいたり。そうやって知識を身につけたので、同年代の他の人より語彙力がやや飛び抜けてます。

 

今でこそこの自覚がありましたが、自信の無いシャイボーイだった小学生あっしは「言うことを理解してくれないなぁ」と人と接するのが苦手になっちゃいました。

 

今でこそ、ウェイから見たら陰キャ寄り、陰キャから見たらウェイ寄りの良くわかんない立ち位置にいる(と言われた)あっしなのですが、本当に人と込み入った話をするのが嫌でした。人見知りではないので、挨拶とかはするし、これは今でもなのですが、年上と話す方が楽しかったりしてました。

先輩や大人は、同年代の人と違い、語彙力があっし並みやそれ以上の人がほとんどだったからです。

 

言葉の力があることはプラスに転ずることが多いのですが、ときたま、こういうことを考えちゃいます。

相手に合わせて、慣用句や難しい熟語が浮かんでも優しい言葉に言い換えたりするクッソ不器用なコミュニケーションの取り方をしております。

 

だからこそ、Twitterは気楽なのです。